こんにちは、レオです。
今回はタイトルの通り、バリスタを志したきっかけや体験談を全く聞かれてもないですが、赤裸々に公開したいと思います。
普段はあまりこう言った内容は語る気はありませんが、現在バリスタとして働く中で色んな思考が巡り、バリスタを志した当時の価値観だったり、自分なりのバリスタとしての在り方が見えなくなってしまうことがあるなと思ったからです。
なぜコーヒーをやっているのか、どこがゴールなのかを目に見える形にしておかないと、一生何かの渦に巻き込まれてしまいそうなため、今回はこちらに原点に立ち返るための家的なものとして記しておきたいと思い、このような記事を作成します。
きっと多くの方の参考にはならないでしょうし、全く興味はないかと思いますが、読んで何かしら感じていただけるものがあれば幸いです。
人生初の挫折
私は中学生の時からコーヒーは好きで飲んでいました。しかし決してこだわって淹れていたわけではなく、実家に置いてあったコンビニやスーパーで買える、粉の状態のコーヒーをスプーン3杯に300mlのメモリに合わせたお湯をコーヒーメーカーに突っ込んだコーヒーです。
テスト期間はもちろん、ゲームをしたりガンプラを作ったり、YouTubeを見ている時ももちろん愛飲しており、今で言うところのビールの立ち位置だったと記憶しています。
そんな私が高校3年になり、進路について考えなければならないタイミングで、
私は就職する道を取りました。特にこれといってやりたい仕事はありませんでしたが、両親の進めてくれた企業に就職できるように精一杯就活を行いましたが、結果は不採用。
私だけなのかもしれませんが、大学生や社会人の就活と違い、何社も受けると言った就活スタイルではなく、一社に徹底的に絞った就活であり、採用されることしか考えていなかったため、不採用だと担任に告げられた時はまじで人生終わった…と初めての挫折で今でも思い出すと辛い思い出です(笑)
強引かつ運命的な進路決定
不採用通知が届いてから本当に無気力で、なんとか次に進むために公務員試験の勉強をしたりしましたが、結局続かず、辛い日々を過ごしていました。
そんなある朝、登校前に母から”卒業旅行で海外でも行ってこいよ”と言われ
私はとっさに“そのままそこでキッチンカーでもやって仕事するわ”と返事をし、その日は学校へ行きました。
その日帰宅すると急にご飯に行くと呼び出され、いつも行くとんかつ屋さんに着いたところで、
“お前、海外行け”と父が真面目な顔で言うので、私は“はい…”と一言。
別に行きたかったわけではありません。他に道がなかったためそう言う他なかったのです。
母曰く私が学校へ行った後”これだっ!!”と思い、父に泣きながら相談したそうです(笑)
何がこれやねん!!
喫茶店での体験
そんなこんなで急遽海外行きが決定した当時17歳の僕は毎日毎日不安でいっぱいでした。
そんなある日、何がきっかけかは覚えていませんが、母とある喫茶店に入りました。
その喫茶店に入るや否や今まで感じたことのない強烈な空気感を感じたのです。
アンティーク調で統一感のある店内と独特なジャズがかかり、深煎りコーヒーの香りが漂う店内はお客さんは数名しか居らず、非常に静かな時間が流れていました。
そこで飲んだコーヒーが特別美味しかったわけではありませんでしたが、その場に今まで感じたことのない圧倒的で究極的な“自由”を感じ、感動してしまいました。
本人がどう思っていたかは定かではありませんが、私からみるとそこのオーナーは、好きな時間に好きな場所で、好きなものに囲まれ、好きなことを好きな人と好きなだけ仕事をしているように見え、
“こんな仕事がこの世にあったのか!!”と驚愕したのを今でも鮮明に覚えています。
私はアルバイトの経験があったため、自分の中の仕事とはしんどいことを我慢してその対価としてお金をもらうものであり、生活していくために仕方なくするものだと認識していました。
しかしあの体験からそんな概念が一新し、自分もああなりたいと切に願いました。
バリスタになる決心
人生というのは必要なタイミングで必要な情報が来るものですね。
語学学校のパンフレットを嫌々眺めていたときに、オーストラリアではカフェ文化が発達しており、語学学校で英語を学びながらバリスタに必要なコーヒーのスキルを学べるコースがあることを知りました。
…これやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!
その情報を見た瞬間、私はオーストラリアに行き、バリスタになることを決意しました。
あのオーナーのような自由なバリスタになって、人生楽しく生きたいと思ったからです。
その後実際に行ってみて様々な困難にぶち当たってボコボコにされるわけですが、そのお話はまた今度…
まとめ
バリスタとして働くとやはりコーヒーの楽しさ、奥深さ、プロフェッショナルな立ち居振る舞いに魅了され、より極端に職人気質的な思考で自分を固め、自分にも周りにも厳しくしてしまいがちです。
しかしながら元を辿れば、私は自由を感じ、自由になりたいからバリスタを始めたのです。
極論自由を感じさえすればバリスタでなくても良いのかもなと思うこともありますが、自分にとってバリスタは自由の象徴であるわけです。
長々と綴りましたが、自分の記憶がちゃんとあるうちに何か形に残しておき、いつでも振り返り、初心に立ち返ることができるようにするための、言わば独りよがりな記事になってしまいました。
ただ、この記事を通して何が伝えたいのかというと、その物事や事象に対しての印象や在り方は人それぞれで良いということです。言ってしまえばバリスタなんて他の職業に比べた給料は低いし、環境によっては労働時間だって長いです。しかしそうでないバリスタだってこの世には存在しているわけです。
つまり、これはこうだからこうでなければいけないと言った凝り固まった考えから一歩引いて、より自由な視点で今置かれている状況だったり、今後のビジョンを見てみると、案外面白いことが待っているんじゃないかなぁと過去を振り返ってみて思うわけです。
良い感じに締めくくれる気がしないのでこの辺で、ではでは。